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法律小話 その2.日本語の「憲法」という語が現在の憲法を意味する語として、はじめて公的に用いられるまでの経緯

憲法は何故憲法と書くのか?

Constitution(憲法)について、元来、日本にはこれに相当する概念がなかったという。そりゃそーだ。

①穂積陳重の『法窓夜話』によれば、明治6年に、箕作麟祥がフランス語の「Constitution」に「憲法」という訳語を当てたのが始まりという。
②支那林則徐の『海國圖志』(道光二十三年版天保十三年)に「世守成規」とあり、
③福澤諭吉は『西洋事情』(慶應二年版)に「律例」と訳し、
④加藤弘之は『立憲政体略』において「国憲」という語を用い、
⑤津田真道は『泰西國法論』で「根本律法」という語をあてた。
⑥明治7年には地方の政治に関して「議院憲法」という名称の『詔勅』が出ている。

このような様々の訳語が「憲法」として落ち着くのは、明治15年に伊藤博文に「憲法取調」の勅命が下された時であるとされている。
この時に「憲法」の語が、いわば「公定語」になったとされている。
※余談ながら伊藤博文の「憲法取調」の勅命からの→滞欧憲法調査エピソードも面白く、また興味深い。http://www.desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es_9_Takii.pdf

石井研堂は『增補改訂明治事物起源』の中で日本において Constitution の
受容と翻訳に苦労がされていたことがうかがえる。まったく明治の日本人には頭が下がる。
この中でも「國憲」や「根本律法」などは、国家の基本法であ
り最高法規であるとの意味を読み取ることができ、現在
の「憲法」を説明する姿勢が感じられる。

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憲法の「憲」の字解について。正字では主のような部は丯(カイ)と書く。『契約の契も正字では主のような部は丯(カイ)』

憲の上部は(害と同じく)大きな把手のある入れ墨用の針の形。
これで目の上に入れ墨をする字が憲、すなわち刑罰の意であるから、のちに『厳しき法』の義となった。もちろん近世において法と刑罰は別物で、そこに違和感を感じなくもないが、古代を近現代の価値観ではかるのは控えたい。

心(したごころ)は後世に書き加えられた。厳しき法は心的抑制の義になったからであろう。憲は人間の自分勝手な言行心慮をおさえ止めるきまり事となった。

最初期の用例は春秋時代(紀元前770年 - 紀元前476年)の左丘明が編纂したといわれる國語の晉語九:「古之聖王發憲出令、設以爲賞罰」の一文である。→訓読:古の聖王憲を発して令を出だし、設けて以て賞罰を為す。→翻訳:昔の聖王は法令を発布して賞罰を設けた――『墨子』非命

憲.jpg

 類義と整理

 法は、外からはめた枠。
 則は、そばについて離れてはいけないきまり。
 範は、外からはめた外わく。〔同語反復?「法」との違いは?〕
 規は、きまった規準。
 憲は、心の行動を抑える枠。〔「押さえる」ではなく「抑える」だ。〕

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穂積陳重の『続法窓夜話』をとりあげてみる。
穂積は大正五(1916)年に、『法窓夜話』を出版した。
『続法窓夜話』において穂積は、「憲法」は治者の号令
であり、「憲」も「法」も同意語であり、「法律」という
意味の名詞であると説明する。そこでは、さらに続けて、
「憲」の形容詞としての用例も掲げ「『憲法』なる語を『明
法』または『厳法』と同意義に用い、憲をもって法に対
する形容詞として『著しく』または『明かなる』意に用
いた例」があるとする。

『日本書紀』推古天皇十二年の
条に記載されている皇太子が憲法十七条を作るというの
も、「『憲法』なる語は『厳しき法』『明からなる法』『顕
しき法』という義であって、『憲』は『法』に対して形容
詞として用いられたものでなければならぬ」と叙述し
ている。

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Constitutionと日本語「憲法」
―明治期啓蒙思想家の西欧文化受容―

法律概念を翻訳する難しさ
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/10474/ronso1240400310.pdf