新発見。楽田城周辺の遺構「遠見の曲輪」「忍者道の痕跡」
みなさんお元気ですか?出張車検.comの松山です。
「遠見の曲輪」「忍者道」新発見というのは、私(記事主)が勝手に言っているだけですので、どうかご了承ください。誰がどう見ても、木曽街道を北から攻め寄せる美濃勢と、街道をゆく怪しい者を、上から監視するための物見櫓があった曲輪ですが、なぜか誰も指摘しないので、仕方なく私が記事にした次第です。曲輪の方を発掘調査、科学的調査すると、おそらく櫓の礎石等が見つかるはずですが、旧国道41号線建設の際に東半分が削られたと思われますので、見つかる痕跡も半分だけかもしれません。
おそらく物見櫓があったと思われます。画像引用:Wikipedia「西尾市の東条城物見櫓」
屋根は藁葺きで、私が城主なら、火急の折には火を付けよ!とします。お城の天守からも良く見えるでしょう。お城のすぐ北の曲輪にも櫓があったはずです。どちらかが見つけることができれば、生存の確率は高まります。
こちら↓がその、お城の北の曲輪です。やはり遠見の曲輪と高さが同じです。
物見櫓があるからには、お城へ最短距離で結ばれ、急ぎ駆けつける「忍者道」もあるはずです。
令和時代の地図で検証してみましょう。
青い点線部分の道が失われているようですが、航空写真で見てみましょう。
赤丸部分の500年以上前の道の遺構が、まだ畔として残っている事も、今回の調査で判明しました。また、緑の丸の空き地ですが、おそらく道だった箇所だけ草の生え方等が微妙に異なっているはずです。













