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2023年12月3日

大河ドラマ「どうする家康」秀頼はどうする?

こんにちは。行政書士の松山です。令和5年の大河ドラマは丁度大阪冬の陣の直前辺りになります。

私(松山)は尾張の人なので、どうしても三河の家康よりも、尾張のプリンス・秀頼の方を判官贔屓してしまう。右大臣豊臣秀頼は祖母の兄が織田信長、父親が豊臣秀吉、祖父が浅井長政、義父が徳川秀忠、義祖父が徳川家康と、将にプリンスに相応しい「戦国の貴種」だったりします。

ただ貴種というだけではなく大阪冬の陣では、包囲した東軍を大阪城もろとも「逆水攻め」するという、太閤秀吉ゆずりの戦術は、将棋でいう「敵の攻め駒を攻める」にも通じ、侮り難しの印象を受ける。やることのスケールがでかいし、秀頼の身長は空条承太郎よりも2cmでかい(197cm)。

さて1611年(慶長16年)3月27日、家康と秀頼の二条城会見の前夜、家康は思った筈。「まさか右府様(豊臣秀頼)、今晩あたりお忍びで来られるか?」
秀吉に内々に「電撃訪問」された昔を思い出して、想定はしていたと思う。
家臣一同にも「あの太閤の子だからあり得る。心の準備だけはしておけ」もしかするとこんな事を言い含めていたのかもしれない。
秀頼はそうすべきだった。腹を割って酒でも飲んで「義理の祖父」家康と語り合っておくべきだったと思う。亡き父秀吉の思い出話を、大叔父の信長の話を、祖父浅井長政の話を、戦国の生き証人家康からよく聞いておくべきだった。そうすればまた違った歴史になったのかもしれません。

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