新着情報

NEWS RELEASE 新着情報

2023年12月

守山区 法人様 三菱 タウンボックス バッテリー交換 ありがとうございました。

この度は当社への出張バッテリー交換ご依頼ありがとうございます。

ご指定の午後13時に御社までお伺いすることができました。

バッテリー交換に加えて、サービスで車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

名古屋市東区 I.K様 トヨタ ノア車検 ありがとうございました。

この度は当社への車検ご依頼ありがとうございます。

ご指定の早朝6時半にご自宅までお引き取りすることができました。

陸運局の検査に加えて、車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回車検もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

中川区 A.K様 BMW X3車検 ありがとうございました。

この度は当社への車検ご依頼ありがとうございます。

ご指定の朝7時にご自宅までお引き取りすることができました。

陸運局の検査に加えて、車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回車検もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

名東区 法人様 トヨタ ハイエースバン車検 ありがとうございました。

この度は当社への車検ご依頼ありがとうございます。

ご指定の前々日午前8時鍵受取→翌日午前5時半に御社駐車場までお引き取りすることができました。

陸運局の検査に加えて、車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回車検もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

名古屋市中区 法人様 トヨタ プロボックス車検 ありがとうございました。

この度は当社への車検ご依頼ありがとうございます。

ご指定の午前8時半に御社までお引き取りすることができました。

陸運局の検査に加えて、車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回車検もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

一宮市 法人様 トヨタ bB車検 ありがとうございました。

この度は当社への車検ご依頼ありがとうございます。

ご指定の早朝6時に御社までお引き取りすることができました。

陸運局の検査に加えて、車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回車検もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

中川区 法人様 ホンダ フリード車検 ありがとうございました。

この度は当社への車検ご依頼ありがとうございます。

ご指定の午前10時に御社事務所までお引き取りすることができました。

陸運局の検査に加えて、車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回車検もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

長久手市 K.M様 ホンダ フリード車検 ありがとうございました。

この度は当社への車検ご依頼ありがとうございます。

ご指定の早朝6時にご勤務先駐車場までお引き取りすることができました。

陸運局の検査に加えて、車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回車検もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

羽島郡岐南町 Y.A様 ホンダ フリード車検 ありがとうございました。

この度は当社への車検ご依頼ありがとうございます。

ご指定の朝9時にご勤務先駐車場までお引き取りすることができました。

陸運局の検査に加えて、車載コンピュータ(ECU)診断ならびに、

アルコール除菌・手袋等の感染症対策もさせて頂きました。

また次回車検もお待ち申し上げます。本日はありがとうございました。

  • Category:
  • タグ:車検
  • Author:shuccho-shaken

大河ドラマ「どうする家康」秀頼はどうする?

こんにちは。行政書士の松山です。令和5年の大河ドラマは丁度大阪冬の陣の直前辺りになります。

私(松山)は尾張の人なので、どうしても三河の家康よりも、尾張のプリンス・秀頼の方を判官贔屓してしまう。右大臣豊臣秀頼は祖母の兄が織田信長、父親が豊臣秀吉、祖父が浅井長政、義父が徳川秀忠、義祖父が徳川家康と、将にプリンスに相応しい「戦国の貴種」だったりします。

ただ貴種というだけではなく大阪冬の陣では、包囲した東軍を大阪城もろとも「逆水攻め」するという、太閤秀吉ゆずりの戦術は、将棋でいう「敵の攻め駒を攻める」にも通じ、侮り難しの印象を受ける。やることのスケールがでかいし、秀頼の身長は空条承太郎よりも2cmでかい(197cm)。

さて1611年(慶長16年)3月27日、家康と秀頼の二条城会見の前夜、家康は思った筈。「まさか右府様(豊臣秀頼)、今晩あたりお忍びで来られるか?」
秀吉に内々に「電撃訪問」された昔を思い出して、想定はしていたと思う。
家臣一同にも「あの太閤の子だからあり得る。心の準備だけはしておけ」もしかするとこんな事を言い含めていたのかもしれない。
秀頼はそうすべきだった。腹を割って酒でも飲んで「義理の祖父」家康と語り合っておくべきだったと思う。亡き父秀吉の思い出話を、大叔父の信長の話を、祖父浅井長政の話を、戦国の生き証人家康からよく聞いておくべきだった。そうすればまた違った歴史になったのかもしれません。

IMG_0684.jpeg